中国というものの扱い方が老練というか、大人です。

南京でのプロジェクトで、中国史をちょっと調べた結果ワンシュウがどうしてすごいのかがちょっとわかった話。

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南京は明代初期に中国の首都だった都市で、中華民国時代にも一時期中心地だったような、意外と政治的な都市です。

明の一個前の元末期は中国全土の都市でクーデターと飢饉があってえらいことになってたみたいです。そんな時代の都市部から離れたチョイ田舎では、サロン的な場所に芸術家が集まって腕を磨いていたみたいです。

政治的で戦闘的な都市から距離を置いて、蘇州みたいな風光明媚な水郷の街で優雅に過ごす。というわけです。

日本だと、特に昔から文化面ではいかに中央で普及させるか。認められるかでその価値が決まるところがあるように思います(最近はそうでもないけど)。当時の中国芸術界では、ゴチャゴチャした都市部から離れるのが逆にステータス。おもしろいことしたいなら地方。みたいなノリがあったんじゃないでしょうか。

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さて、現代の中国で建築。となれば誰しも急成長する上海などの都市部での仕事をイメージしますが、そうなると中国独特のややこしい慣習に呑まれて神経をすり減らし、結果ロクな物にならない。というのがお約束です。

ワンシュウがすごいのは、世界中で無い無いといわれる建築の仕事があるはずの中国の都市部からあえて距離を置いて、元末期の文人のように地方で建築をつくる。というスタンスを取っているところです。
OMA以降の都市と真っ向から対決する建築家を是とする風潮のなかで、このキャラはなかなか他にいないはずです。同じく中国系でプリツカーをもらってるイオミンペイのように中国から出てしまうのではなく、あくまで中国の周辺部にとどまるところもクラシックなオシャレ文人です。

ワンシュウは建築のモノ自体よりも、中国という複雑怪奇な存在に対する間合いの取り方が絶妙だった。ということにプリツカーが出たのでは。

建築よりも中国建築界での自分のポジションをデザインしたといった方がしっくりくるかも。

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日本人建築家が中国で何かすると、低い施工精度をなんとかモノにできるように頑張りました。みたいなことしか言って無いような気がします。そういうの聞き飽きているなかで、中国の歴史的な文化活動を今普通にやっているだけのワンシュウが逆に新鮮な切り口を見せてます。中国というものの扱い方が老練というか、大人です。

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とはいっても、ワンシュウの地方主義的なやり方は中国と対決するいろんな方法の一つに過ぎないはずです。中国の建築事情を批判するための芸術活動というか。地方ではなく都市で取れるおもしろい間合いを何とかして見つけられればよいですね。