おい主人公よ、おまえにも妻子があるだろう。

ゴジラ観てきた

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地震津波みたいなどうしようもない災害と、制御が極めて困難なテクノロジー・核をあわせて問わなければならない時代がこの3.11後の世界であって、これを映画的に体現できるのはゴジラしかいないわけで、まさに絶好のタイミングでのリブートだ!ってところに期待してたんですよ。
核実験が生み出した哀しき怪獣・ゴジラを、世界的に原発廃止核廃絶の流れの中で核大国アメリカがどうゴジラを解釈するのか!ワクワク!だったのに。

今回の映画内ではゴジラは大昔からそういう動物だったという設定で、1954年版のリメイクではないことが序盤で明らかになる・・あ、そう。ま、俺が勝手に脚本を予想してただけだからいいよいいよ。敵怪獣とかも出る?なるほどリメイクって言っても1作目以降の怪獣プロレスシリーズのリメイクなわけね。いいよいいよ!なんだかんだ言ってもゴジラシリーズの大部分のテーマは反核とかじゃなく(vsヘドラとかvsビオランテみたいに暴走する社会・科学に対する批判もあるけど)派手に都市をぶっ壊して大暴れするエンターテイメントだもんね!それを金かけたハリウッド映画でやるんだからすごいよこれは!パシフィックリムという直近の成功例もあるし!よし!いいよいいよ!

て良くねーよバカ!

怪獣プロレスにしてもいざ敵と対峙となっても戦闘シーンをあえて見せない、みたいな謎演出してんじゃねーよ。戦闘を見に来てるのにフラストレーションがたまる一方で効果や意図が全く不明だよ。せっかくハワイ出すならダイアモンドヘッドをまるごとふっ飛ばすぐらいのことをしろってんだよ。観光名所破壊はお約束なの!ゴジラの巨大さを全国の地方の子供たちに説明する意図もあるの!

だいたいなんだあの敵怪獣MUTOはよ。
弱そうじゃねーか!それもすごく!

EMPを発生させる特殊能力で周囲の電子機器を故障させる?なるほど、じゃあ米軍といわず人類の近代兵器はまるで歯がたたねーな。現代的現代的。
でもそれって生物であるゴジラには全く効かないってことじゃん!案の定ゴジラに対しては「ひっかき」「かみつき」みたいなしょぼい攻撃しかしねーでやんの!

ゴジラが負ける要素が無い!ハラハラしない!

日本のゴジラシリーズも子供向けながら練られた構成があって、プロレスでいうブックだ。

敵出現→人間軍歯が立たず→ゴジラ出現→ゴジラ敗北、一時撤退→人間軍がつなぎで奮闘するも負けそう→ゴジラ復活、火炎放射で大勝利→海へ戻るゴジラを崖っぷちで見送る人間→終

これが黄金の構成だよ。とくに中盤の「ゴジラを一度は負かすような強敵」演出が絶対に必要なんだよ。なぜなら最後はゴジラが勝つのは初めから誰でも知ってるからだ。いかにも強そうで悪そうな敵ってものが怪獣プロレスには不可欠なんだよ。
だってそうだろ?猪木が中学生のボクシング部部員と試合しても興行にならんだろがよ。確かに構成に固執するあまり様式化して結局飽きられてシリーズを終了させた側面はあるけども。
今回の敵怪獣は飛べるという能力を生かして命からがらゴジラから逃げてアメリカにたどり着くけど結局ゴジラに仕留められる。といった格好になってて、終始ゴジラ優勢のまま何の波乱もなく終わる。

正直エンターテイメント映画として(ゴジラ映画としてではなく)はエメリッヒ版の方がサービス精神旺盛だったと思うぜ。

 

次は人間ドラマパートの話だバカヤロー

15年前の原発事故(敵怪獣の活動が原因なんだけど)によって妻を亡くした夫とその息子。この息子が成長して軍人になり家族を持つようになり、怪獣活動に巻き込まれつつも家族のもとに帰るというのがざっくりした話だよ。
3.11直後の日本風に言うと絆な話ですよ。

ケンワタナベ含めその他の人は基本的に空気。核に対する認識議論も特になしでケンワタナベが時代設定上おかしいヒロシマの遺品をチラ見せする程度。(ていうかこの監督太平洋戦争がいつ終わったか知らないんじゃないか?)ほんとにチラ見せだけで、米軍の偉い人が怪獣に対しても核兵器使用は思いとどまるとかそういうの一切なし。脚本上必要ない。じゃあなぜ日本人をキャスティングして思わせぶりなカットをいれたんだよ!?日本での興行収入が不安だったからか?舐めるな!

特にハワイシーンではゴジラ上陸に伴う大津波で結構な人が死んでるはずなのに、いつのまにやら米国人にもゴジラ=人類の守護神という認識が生まれてるのもおかしい。
MUTOに家族を殺された主人公ならMUTO憎しになるのはわかるけど、ゴジラに殺された人の遺族は逆にゴジラが憎いんじゃないの?そこで人間同士の対立と和解があって人間ドラマパートに意義が出てくるんじゃないの?そういうの無いの?
現実世界でも議論されている核は悪か必要悪か、という対立構造の比喩ができる絶好のチャンスじゃないの?ゴジラがMUTOを殺してくれたら人類的にはラッキーだけど、そんなことしないかもしれないし、ゴジラも人類にとって十分脅威だよ?普通に考えて。

ともあれ、米軍がアメリカの都市に自ら核爆弾を投下するという未知への飛行ばりにショッキングな内容なはずなんだけど、これまでのハリウッド映画と同様の核に対する気軽さで残念。もっと残念なのが核爆弾でMUTOを退治するつもりが、ゴジラが爆発より先にやっつけちゃったという展開。核爆弾なんか最初からいらんかったんや。じゃあ爆発を阻止しなきゃなんだけど、せっかく主人公が米軍の爆弾処理班だってのに、核爆弾の操作パネルの蓋がひしゃげて開かない。結局サンフランシスコ沿岸で爆発。

どうしてこうも徹底的にマヌケなんだ!惜しくも運悪く的な演出はあってもいいけど、ゴジラがぶつかってきたはずみで蓋が開くとか、家族写真を見た主人公がハリウッド的火事場のクソ力でこじ開けるとか、ご都合主義でいいからそこはどうにかなってくれよ。怪獣戦闘シーンを見せない、とかこの蓋シーンとかスカッとしない場面が続いて情けない気持ちになっちゃうよ。

この映画には主人公家族ともうひとつ重要な家族が出ていて、なにかというと敵怪獣MUTOの家族なんですよ。
はじめに母MUTOが出現して、次に父MUTOが出現(この父MUTOが母MUTOより体格が小さい。自然界ではよくあることだけど映画として2回目に出す方をインパクト薄くしてどうする)。で、巣を作って卵を産む。生きものとして自然な行動なんだけど、スケールがデカすぎるから人間がちょっと困っちゃうな><。という話。

蓋シーン直前に、MUTOの巣というか孵化寸前の卵をみつける場面で、主人公が機転を利かせてその卵にガソリンをぶっかけて大爆発させるのよ。その爆発をみた母MUTOの悲鳴にも似た咆哮たるや・・。正直一番感情移入できたのはまさかのこのシーンの敵怪獣ですよ。

おい主人公よ、おまえにも妻子があるだろう。親をMUTOに殺されたのは分かるし、卵を孵化させるといよいよ手におえないのは分かるけど、あまりに鬼畜の所業じゃないですかね?少なくとも「MUTOカワイソー」って気持ちになったよ俺は。父MUTOと母MUTOのラブラブ(?)シーンも挟まってたりして。何だこれオイ。同様に卵絡みのシーンがあるエメリッヒ版では、怪獣=悪の構図がバカみたいに単純だったのでこんな気分にはならなかったんだけど。むしろそのあと怒り狂ったゴジラの追跡からイエローキャブでニューヨークを逃げ回るシーンは割とおもしろかったりする。

人間パートに某エコテロリストみたいなのも入れたら議論がグッと多様化したかもね。怪獣といえど生きもの、殺すのはいかがなものか。みたいなこと演説してるやつがゴジラに踏み殺される。とか。
核爆弾使用容認派の軍人がゴジラによる放射能汚染被害にあって、出血・脱毛等徐々に苦しみながら死ぬ。とか。
54年版のゴジラでも、核を超える兵器・酸素破壊爆弾を作った芹沢博士はゴジラと一緒に自決してんだよ。けじめはちゃんとつけるんだよ。

人間の利害など超越した存在でなきゃならないはずののゴジラが、人間に都合のいいことばかりしてるもんだから映画の軸がブレてる。物わかりのいいアメコミヒーローとは違うの!神なの!

2014年版ゴジラは日本のゴジラをわかってる本物の監督が撮ったやつだからすごい!みたいな宣伝をよく聞いたけど、これはだめだよ。日本ゴジラシリーズの中でもできの悪いやつの焼き直し程度じゃないの。映画メディアを使った社会批評としてもエンターテイメントとしても破綻してる。
ゴジラを持ってしても、日本の核認識とか人間に制御できないものが存在する世界観を欧米に伝えられていないということがよーくわかった。

一応褒めるとこは褒めといてやる。
ゴジラが映ってる場面はすべて最高。火炎放射のシーンは鳥肌モノ。はっきり言ってこれを見るためだけに映画館へ行くべき。

だが減点が多すぎた。ゴジラだけに55点。