俺はあの夜のスターになれたのに

今週はひどい目にあったので、その前の週の出来事を書く。

同期の知り合いの知り合いという、もはや俺とは無関係なのでは?というアメリカの建築系大学生たちと飲んだ。

酔うと建築の話になるのはどこも同じだったよ。

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中国がいわゆる文明開化した1920年代にも当然建築学生は存在して、外国に留学して当時の最新の建築を学んで中国に持ち帰ったそうです。明治期の日本もおなじですね。

20年代と言えばヨーロッパでモダニズムが席巻しつつある時代だったのですが、学生の留学先はみんなアメリカだったらしいです。当時のアメリカはまだボザール的建築が主流で、それを最新の様式として中国に持ち帰ったということです。

20年代から後は内戦やら世界大戦、冷戦なんかで結局モダニズムがまともに輸入されなかった(!)まま現在に至るのが中国です。

もしモダニズムが無かったら、という意外と想像もしなかったことが現実になっているというわけです。日本で同じことが起きてたら花田佳明も存在してないです。

この間書いた南京でのプロジェクトも「中華民国時代の感じで」という要求がありました。20年代の政権だった中華民国の建築様式がわかりやすいありがたそうな建築のイメージなのかな。いまだに。

確かに中国の高級マンションとか官公庁は洋風だな、と。

でもここで重要なのは、洋風と言ってもヨーロッパ風ではなく、正確にいうとヨーロッパ風アメリカ風建築(?)であるということです。

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アメリカ人大学生と飲んだのは外灘という場所の近くで、19世紀半ばから欧州列強の植民地だったけど現存している建物は20~30年代のもので、まさにな建物が並ぶ観光地です。

「ヨーロッパの古典の模倣に見えるけど、実はヨーロッパを模倣したアメリカの模倣なんだよ、これ」

ってことをアメリカ人にキチンとした英語で言えたら俺はあの夜のスターになれたのに。

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簡単に模倣とか言ってるけど、きっとアメリカボザールにも独自のロジックと様式が存在するに違いないです。知らんけど。それを持ち込んだ中国洋風建築にも独自性が細かいとこであると思います。たぶん。そういうわけで以上の文章はわりと正確性に欠く話だと思います。適当です。詳しく知ってる人がいたら教えてください。