スタローンと私

スタローンと言えば映画にクソ疎い話にならねーお前らでも何のことかわかるよな。そうだ。シルベスタースタローンのことだよ。
そしてスタローンと言えばその対、阿に対する吽。コーヒーに対するタバコ。ザリガニ料理に対する薄手のビニール手袋*2。と言えば そう、アーノルドシュワルツェネガーだ。連想ゲームさ。
6歳ごろから10代後半まで私は根っからのシュワ党だった。
逆にわたしの母はスタローン党だ。

わたしの母のスタローン愛は並々ならぬもので、中学生当時にロッキーを観て感激。以降しばらく早朝に生卵を湯呑で丸呑みし、水不足が慢性的な香川県に多く点在するため池の周囲を走り回っていたという逸話を幾度となく聞かされていた。自己投影のスクリーンをエイドリアンでなくてロッキーの方に照射する中学生女子、モテるわけねえんだよな。


かくいう私は物心つく前にアスタラビスタ・ベイビーでハートを撃ち抜かれて以来、生涯ベスト映画は決まってターミネーター2である。当時90年代はまだテレビの映画番組が盛んな時期で毎週のようにプレデターバトルランナー、トータルリコールやジングルオールザウェイ、6デイズが放送されていてシュワにのめり込んでいた。
スタローン党代表の母親はそんな幼い私をどこか悲しいまなざしで見つめ、「作られた筋肉は美しくない」としょっちゅうたしなめられていた。スタローンもそうとうステロイド打ってるんじゃないですか。母さん。

別にスタローン映画が嫌いだったわけじゃないんだ。むしろ心に残るスタ映画の傑作を初めて観たのもこの時期で、特にランボーは今も大好きさ。ただロッキーにしろランボー1にしろ、小学生な俺には人生の苦味を旨味と感じる感受性は育ってなかったってだけさ。

そんなこんなで多感な10代後半を迎え、スタローンも2000年代はすっかり過去の人になりシュワ氏もカリフォルニア州知事キャラでハリウッドがさみしかった時期に突如ロッキーザファイナルが公開され、我が家の枯れかけたシュワ対スタローン抗争に再び火が付いた。
角淳一と同い年の過去のハリウッドスターがボクシング映画なんて、は!笑わせるぜ!まあ一応観て話のタネにでもするか!なスタンスで今はもう閉鎖した映画館・奈良シネマデプト有楽に赴いた俺は、ラストの試合シーンでスクリーンが見えないほど号泣していた。それはもう号泣中の号泣で嗚咽を漏らすとはこのこと、ってな号泣だった。もし初孫が産まれてもここまで泣く奴はいねえだろって涙だ。
この日からさすがにスタローンへの態度は変わったね。シュワへの敬意は変わらないとしつつもスタローンへ向けて揺れ動く心の地殻変動は自分自身をごまかし切れるものではなかったね。少女マンガだ。少女マンガのリスザルみてえに目のデカい中学女子が憧れの先輩がいつつも幼馴染の隠れイケメンに トクン する感じだよ。わかるだろ?


ところがだよ。別日でロッキーザファイナルを観てきた母の口から出た感想のひとことは予想だにしなかったね。元サッカー日本代表監督岡田が放った「カズ、三浦カズ」に匹敵するんじゃねえの

「しなびたロッキーは見たくなかった」

え、え?母さんマジですか。はは!ご冗談を!え?マジですか?

しなびても打ちのめされても立ち上がって自分を信じるロッキーに号泣したあなたの息子の涙はどうなるんですか?
そりゃ香川の実家の押入れから出てきたコブラのポスターとかオーバーザトップの缶バッジの時代からすりゃスタローンはしなしなのおじいさんですけど、でもそれがいいんじゃない!逆境、限界!それでも!がスタローンの真骨頂じゃない!
お母さん、あなたはスタローン映画のがんばる人は美しいメッセージじゃなくて単にパンパンの上腕二頭筋に トクン してただけなんですか!?違うでしょ!そうじゃないでしょ!

そういえば、母が私の父に惚れた理由は「昔はブルースリーみたいやった」と聞いたことがある。なんだよ結局筋肉じゃねえか







それはそうと今月半ばに日本に帰る。元ブルースリーでもある父親もいまやロッキーザファイナル公開当時のスタローンと同じ年代。彼の還暦祝いで十数年ぶりの家族旅行が企画されているのである。その際やはりなにかしらの還暦祝いを持参するのだろうが、この選定になかなか頭を悩ませている。
冷凍の吊るし牛肉なのかなやっぱ。